須々木ユミの「これを観よう!」

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5/10(金)ロードショー!<『初恋 お父さん、チビがいなくなりました』をぜひ観てください!>

 

 

「初恋 お父さん、チビがいなくなりました」が公開されました!

◆公式サイトはこちらから・・・

間もなく、『初恋 お父さん、チビがいなくなりました』が公開されます。主演、倍賞千恵子藤竜也です。

試写に行ってきましたが、(めちゃめちゃ結婚生活に満足!という人でないかぎり)結婚している人、とくに女性には観てもらいたい映画ですね。

 

「ああ、わかる。ああ、私もこんな感じになるのかも・・・」と、劇中の妻役に共感せずにはいられない映画です。とくに男性に対する何ともいえない苦々しい思いをたっぷりと味わうことができますよ!

結局、人類皆兄弟、お隣のあの人も、遠くのあの人も、程度の差こそあれ人であれば同じ感情を共有しているのだと思います。だからこそ私たちはそんな”兄弟”の作った映画を観ることで、少し肩の荷を下ろせるような気がするのです。

この映画のいいところは、結末に「希望」があることだと思います。そしてその「希望」を感じた私たちのそうなりたいと願う気持ちが、今ある日常をほんの少し、良くしてくれる・・・かもしれません!

 

今回私はこの映画のレビューを、切通理作先生のメールマガジン(有料)に掲載させていただきました。メルマガは有料ですが、私の記事は公開できますので、読んでいただけたら嬉しいです!

  「初恋 お父さん、チビがいなくなりました」レビュー<どこにでもいる夫婦の姿を、リアルに、そして温かく描く!それは共感と感動を呼ぶ、私たちの物語だった。>

 「誰かと時間、空間を共にしているからこそ感じる孤独」というものがあることを、おそらくは多くの人が経験上知っているのではないだろうか。

心の奥底では気を許すことのできない友人関係しかり、いまひとつなじめないコミュニティしかり。そしてその孤独の原因が「本当の自分をわかってくれない」という思いからくるものであるとしたら、それを最も感じやすいのが「夫婦関係」なのではないか、と私は考える。

 

夫婦関係というものは、まるでヤカンのお湯のようである。一度沸いたそのお湯は、時の経過とともに容赦なく冷めていく。そして、「常温」という現実にさらされた二人の関係には、長い時をかけて澱のような不満が溜まっていく。熱かった時があるからこそ、その対極にある「今」はより冷たく感じられ、ときに夫婦を悲嘆に暮れさせるのである。

 

「初恋 お父さん、チビがいなくなりました」は、そんなどこにでもある夫婦の心情を描ききり、これは私の、私たち夫婦の物語なのではないかと観るものの共感を呼ぶ映画だと、まず言いたい。

 

結婚50年。亭主関白で無口、家のことは妻に任せきりの典型的な昭和の男性、勝。そんな彼を献身的に支える妻、有喜子。彼女は将棋を指しにでかける夫のために弁当を作り、彼が会社に行くときには背広を着せ、マフラーをかけて送り出す。夕飯の支度をして夫の帰りを待ち、帰った夫の靴下を脱がせ、食事を共にしている夫に無邪気に話しかける。しかしそれに対し夫は生返事すらしていないのではないか、という無関心ぶりだ。

もうこのあたりから、観ている女性の大半はイライラしはじめるのではないだろうか。

 

「なぜ」男はこうなのだ。「なぜ」夫という生きものは、妻の話すら聞こうとしないのだ。

 

さすがに夫の靴下を脱がせる妻は今どきあまりいないだろうが、これに近い光景は、程度の差こそあれ多くの家庭の中で繰り広げられているのだろう。そして映画では、タイトル通りの事態が起こる。

 

「お父さん、チビがいなくなりました」

 

有喜子の唯一の話し相手といっていい黒猫のチビが、家を出たきり帰ってこなくなったのだ。

ここから、子どもたちを巻き込んだ家族ストーリーが展開する。そこには母を心配する子どもたちの姿があり、スクリーンでは有喜子の、一人の女性、一人の人間としての思いがその表情に滲む。それは、結婚している女性なら一度は感じたことがあるであろう「孤独」だ。

私は誰のために家事をしているのだろう。子育てをしているのだろう。この家で、私を見てくれている人はいるのだろうか。関心をもってくれている家族はいるのだろうか。本当の私はどこにいるのだろう。私の人生は、これでよかったのだろうか。

 

一方で、夫、勝にも、長年口にできなかった妻への思いがある。映画では、どんな家庭にもある光景、どんな家庭でも起こりうる問題が、ごく自然に、そして丁寧に描かれている。愛猫がいなくなったことであぶりだされる家族の「いろいろなこと」が、同じく家族をもつ私の胸に、苦い感情をともなって迫ってくる。

 

それにしても、倍賞千恵子の自然で共感を呼ぶ演技には、心を持っていかれた。彼女の姿に数十年後の自分を重ね、すでに、有喜子が感じているものと同じ種類の孤独をこちらも感じていることに気づく。この共感は、彼女がただ往年の大スターだから、という事実だけでは得られなかったであろう。彼女自身の、老いを隠すことのない、自然体の生き方がスクリーンに映し出されているからこそではないか。

 

そして個性豊かで経験豊富な共演者が、この映画を引き立たせる。夫、勝には、この役にあまりにもピタッとはまる名優、藤竜也。二人の次女役には「シンゴジラ」や「三度目の殺人」、「羊の木」など、数多くの映画で活躍する市川実日子。「仮面ライダーフォーゼ」で俳優としての自身を確立させた佐藤流司のコミカルな演技や、小林且弥の、ストーリーには直接関係していないがちょっと気になる存在感。有喜子の子ども役、小市慢太郎西田尚美の安定感のある演技など、映画では実力のある俳優陣が脇を固めている。

 

また、夫婦が若かりし頃の描写はリアルだ。映画で若き有喜子を目にしたときの違和感のなさに、映画を観終わった後、思わずかつての倍賞千恵子の画像を検索したが、先ほど観た若き有喜子にやはり似ている!それもそのはず、有喜子や勝の若き頃を演じる若手の役者を探すのは至難を極めたらしく、書類選考を経て残った50人にオーディションを数回繰り返した末に、ようやく彼らの起用を決定したという。

 

そんな妥協のないこだわりをもってメガホンをとったのは、助監督の経験を積み、06年に公開された「家族のひけつ」でデビュー、同作品でいくつかの新人賞を受賞した小林聖太郎氏だ。近頃では「毎日かあさん」や「マエストロ」などでその手腕を発揮している。撮影時には有喜子役の倍賞千恵子に魅了されっぱなしであったという監督。彼は、彼女の素の魅力を映画で存分に引き出すことに成功したといえるだろう。

そして、この映画で重要なお役目を果たした黒猫チビ役のりんごちゃんの自然な振る舞いが、私たちをなごませてくれた。おとなしくて人懐っこいチビの可愛さは、私のような猫好きにはたまらない。

 

映画を観終わった後も、目に浮かぶ。長年、共に暮らした家で過ごす有喜子と勝。公園でチビを探し回る有喜子の姿。それぞれの思いややりかたで両親を案じる3人の子どもたち。庭の水道の下のバケツの水を、幸せそうに飲むチビ・・・。それらは私たちの隣で起こったストーリーであり、私のストーリーでもある。

 

そして思う。つまるところこの映画が私たちに伝えるのは、私たちの今が「どんなもの」であれ、誰かと共に歩みを進めた先には、もしかしたら希望という光がほんのりと灯っているかもしれないよ、ということなのではないだろうか。

 

それは多分、「頑張れば必ずいいことがある」などという啓発じみた話ではなくて、真心というものを持ち続けている人には、ほんの小さなご褒美のような喜びが人生のどこかに用意されているかもしれないよ、ということなのだと思う。

そしてそれは、全体として、夫婦関係に限ったことではないと思わせる広がりが、この映画にはあった。ここにある「今」という現実は、決してその未来をも限定してしまうものではないのだよ、と。

 

観た後にあたたかい気持ちに包まれ、もっと観ていたくなる映画、それが「初恋 お父さん、チビがいなくなりました」だ。

あなたもご家族と一緒に映画館に足を運んでみてはいかかだろうか。

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