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ドキュメンタリー映画「沈没家族」劇場版のレビューを書きました<結局のところ、家族ってなんだろう?他人を巻き込んだ共同保育の結果とは>

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ドキュメンタリー映画『沈没家族』の試写に行きました!

「沈没家族」とは・・・

こちらは須々木ユミ、ブログ開設後初の、いわゆるデビュー記事です。

もう1か月ほど前になりますが、私はドキュメンタリー映画「沈没家族」劇場版の試写に行き、『プレタポルテby夜間飛行』というサイトにレビューを掲載させていただきました。

「沈没家族」と聞いてもきっと皆さんは??ですよね。

この映画は複数人の、言ってみれば全くの赤の他人と子育てを行ったシングルマザー、加納穂子さんとその息子さんのドキュメンタリーです。一般的な規範からちょっと(いや、大分!?)外れた自らのその家族のことを彼女は「沈没家族」と名付け、彼等とともに同じ家で子育てをしました。

 彼女はいわゆる保育人となる人をチラシで募集し、それを見て集まった人たちと共同生活をしながら息子を育てたのですが、当時もそのめずらしい家族形態が世間に注目され、彼らの様子はテレビでも放映されていたようです。

豊かな「個性の海」のなかで育つということ

さて、今回の映画は、「沈没家族」のまさに当事者、息子の加納土(つち)さんが自らが育ったその特殊な環境を、かつての映像と現在の様子をおりまぜながら作成したドキュメンタリーです。

 

映画の中では、若者たちが食卓を囲んでいます。みんなで集まってワイワイご飯を食べているその様子から、彼らが土さんを「保育している」ような印象はありません。

親戚や友達が集まり、その中に土さんがいて、その多様な個性の中を幼い土さんが自由に泳いでいるといった感じなのです。

 これを見て、思ったこと。それは「ああ、子どもはいわゆる一般的な家族という形態がなくてもきちんと育つんだなあ」です。

父がいて、母がいて、兄弟がいて、もちろんそれらは血縁で結ばれていて、といったような、いわゆる「一般的な家庭」でなくても、です。

 

もちろん、血のつながりによる家族は貴重だし、その唯一無二の血のつながりでできたコミュニティは最小にして最強のものです。

 ただ、だからこその逃げ場のなさ、閉そく感も最強。家族の中にイヤな人間がいれば結構な憂いと絶望を感じるハメになるし、きっとこの世界には、家族のためにしんどい思いをしている人がたくさんいるのだと思います。

 

そこへもってきて、「沈没家族」は軽やかでしたよ。テレビ放映のための演出だとは思いますが、キャンプファイヤーなんかで私たちがかつて踊った「ジェンガ」を、土さんのベビーカーを押しながら保育人たちが踊ったりしていて。

 

そして映画では、幼い土さんを知るかつての保育人たちが当時の様子や思いを語っています。複数の大人たちが、自分の幼いころを知っている。そして彼らの、土さんへの愛情、関わりというものを、その話の中で感じました。

きっと保育人の彼らは、土さんの遊び相手であり、土さんにとって心の逃げ場所であり、その多様な個性は幼い彼に、有形無形の様々なことを教えたのではないのかなと思います。

 

そして何より、現在の土さんがとても優しい雰囲気をもった大人に成長しているということが、この保育が彼らにとって間違いではなかったというあかしですよね。

試写では最後に土さんが私たちに挨拶をしてくれたのですが、その様子はとても温かでした。

穂子さんの自由な生き方に見えるもの

そして私はこの映画の見どころとして、この保育を実践した加納穂子さんの生き方が大きくあると思います。

彼女の奔放にして繊細な感性を、ぜひ感じてもらいたいと思います。なかなか普通では思いつかないことをやってのけるその行動力、生きざまは、おそらく彼女の繊細な心から発せられたものです。

「生きる」ということに真摯に向き合ったからこその・・・、なんです。多分。彼女の行った子育ては、世間的には「正しく」はないのかもしれない。それでも、私たちに家族とは何か、という問題提起をしてくれたし、未来の息子にドキュメンタリーを撮らせた。

彼女にとっての「正しさ」は、ちゃんと今、私たちの心に届いているんですよね。

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